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こんにちは!黒田the spring-heralding gale倫弘です。 辞書引きました。春を先触れする突風なんだって。春一番を英訳した言葉なのか、そもそも英語にもある言葉なのか。地形が影響する現象だもんね。春一番が季語になるぐらい定着してる国はどのくらいあるんだろう。日本ではどこでも春一番があるのかな。 この間、曲はできるんだけどピンとこないんだと話したある人に何を歌いたいんだときかれて、自分が歌いたいものを歌いたいっていうだけなんだけどね、と答えた。自分が作れた!ということだけじゃ僕自身が震えない。メロディーもことばもサウンドもいっぺんに降ってくるような、あのゾクゾクするような感覚がそれの証しだと思うと、それがもっと欲しい。ライブとは違うところで、音楽をつくる快楽を僕は知ってしまったんだな、と思う。 さてと。歌をつくる時に、これが自分語なのか、日本語なのか、日本語を使う人にならほぼ伝わることばなのか、ふとそんなことを考える。あと同世代なら伝わる感じとそうじゃないものもある。あと言葉では伝わらなくても伝わる何かもある。今アルバムを作ってて、つくづく音楽は面白いし難しいと、改めて思う。ポップで明るいメロディーに、こんなネガティブなことばを乗せたいのはなんでだろうとか、それで伝わるのかなとか、だからこそ伝わる機微があるかな、とか。サウンドもそう。この激情を伝えるのは、同じテンションで弾かれた歪んだギターの音なのか、それとも湖面のように静かに押さえたサウンドなのか。それを選びとる感覚こそが音楽をつくるということなのかな、と思う。 ローマで買って来たレオナルドダビンチ論が書かれた絵画ガイドをペラペラとめくっていたら、<芸術の優位性>ということばがあった。絵画や彫刻や詩や音楽や、今なら映像も含まれるだろう。そういう芸術の中でどれが最も優位にたつかという議論は、僕には全くピンとこないけど、どれも自分の視点を表現するという点では同じだと思う。受け手のどこかに触れ感動するという点においても。僕が音楽を好きだったというだけだ。 というようなことを、日々気づき直して、僕は大好きな音楽に取り組んでる。春一番と聞いただけで、そろそろ冬のコートをしまおうかと思ったり、講堂への渡り廊下を襲う突風と卒業していく先輩を思い出したり。そんな音楽をつくりたいと思う。自分語だからこそメロディーとサウンドの力を使って伝えられる心も歌いたいと思う。あれもこれもと贅沢病が始まった。やっとアルバムを作る準備ができたということかな。 また来週! |
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