003/052203
 ボンジュール、ミッシェル=スポンジ=クロダです。エクセキューゼ・モア。すみません。
 映画に出ました。という話は来週にして、今日は鎖国くんの僕がはまってしまったパリのこと。僕はボーカリストなんだけど、映画にちょっと出たり、写真集を出したりと、マルチタレントなの?といわれそうなことを時々やっている。僕はマルチタレントじゃない。どっちかと言うと不器用なモノラルタレント、歌うことしかできない人間だ。気を抜くと本当に歌うことしかしなくなるので、ご飯を食べたり、掃除をしたり、散歩をしたりっていう普通の生活も、けっこうちゃんと意識してやらないと、どんどん端っこに押しやられてしまう。
 そんな僕が映画や写真を撮られることで気付いた大事なことは、音楽が「表現する」といういろいろな仕事の内のひとつだということだ。といっても、映画の中での演技は技術的に理解できてやれたわけではないので、「表現することを意識する」きっかけとして、だけど。・・・っていう話は来週にして。
 パリには写真をとられるために、そしてほんの少しの間だけど音楽から離れて心の休日を楽しむために行ってきた。本当はどこでも良くて、コーディネーターの口車に乗って、本当にいい処なんだろうな?ぐらいなつもりで。パリは好きだった。「どうせいくならもっといい季節に。」って言われる極寒のヨーロッパ。歴史を生活の中に抱き、リスペクトする人たち。12時間の苦手な空の旅。それも超満員でギシギシになった身体。ねむいんだか疲れてるんだかわからない超低空テンションで車に乗り夜のパリに滑り込む。不機嫌な顔をかくしていたサングラスをはずし頭にかける。窓にへばりついて街をみた。街灯に照らされた美しい街並に興奮していた。
 小さな安宿に荷物をひろげ、窓を大きく空けて、「大好きだ。僕の街、パリ。」みたいな気分で。ことばが通じなくても、不便でも、寒くても、この街に住みたいな。そんな風に思っていると、不思議といろんなものが見えてくるし、聞こえてくる。アメリカ横断砂漠の旅の僕は、閉鎖した自分をほじくりだしていた。バリ島の僕は溢れ出てくる何かをひどく意識して放っていた。パリの僕はどうだったろう。
 モンマルトルできいた「イルデリエン」というシャンソンをさがしている。
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